~居酒屋での何気ない会話から、働く自分を楽にするヒントが見えてきました。
会社を“舞台”と捉えると、役割との距離感が変わっていきます。~
赤ちょうちんの灯りが、雨上がりの路地をやわらかく照らしている。
居酒屋「大将」は、いつも通りの賑わいだった。カウンター越しに聞こえるフライパンの音、焼き鳥の香ばしい匂い、ジョッキがぶつかる軽い音。それらがほどよく混じり合って、肩の力を抜かせてくれる。
奥のテーブルでは、浩一、智やん、ケイタの三人が、仕事終わりのビールを楽しんでいた。
そのうち、浩一がさっきから落ち着かない様子で、ちらちらと店の奥を気にしている。
「なあ浩一、さっきから何チラチラ見てるんだよ」
智やんがジョッキを傾けながら言う。
「いやさ、あの奥のテーブル。隣の部署の部長と部員の飲み会なんだよ」
「ああ、白髪の人がビール注いでるとこ?」
ケイタが顎で示す。
「そうそう。あれ、去年まで部長だった人でさ。で、今ビール注がれてる若い人が新しい部長。元はその人の部下だったらしい」
「つまり、元部下が昇格して、前の部長は役職定年ってわけか」
「まあ、そんな感じだな」
浩一は少し声を落とす。
「元部長、結構大きな声で部下を叱責しててさ。隣の部署だったこっちが居心地悪くなるくらいだったよ。あんなで年下部長とうまくやっていけんのかな」
「そういえばさ、この前の日経にそれっぽい記事があったぜ」
智やんは一口ビールを飲んでから続けた。
「六十代で再雇用された人が、年下の上司にパワハラみたいなことした話。その人、前職の専門知識を盾にして『コンプラ違反だ』って指摘したらしいんだけどさ」
「ふむ」
「会社の法務が確認した結果、『問題なし』って判断だったんだと。でも本人は納得しなくて、何度も何度も年下上司に食い下がった」
「困ったおやじだな」
「年下上司は三日間で十一時間も面談させられたらしい。しかも上司に向かって『だからお前はダメなんだ』とか、罵倒つき」
「そりゃひどいな」
「結局、年下上司はメンタルやられて休業。困ったおやじのほうは配置転換。それを『不当な異動だ』って訴えたけど負けた」
智やんは枝豆をつまむ。
「指摘の内容より、常軌を逸した行動で職場の秩序を乱したって判決だったらしい」
「なんだか、やりきれない話だな……」
浩一はビールに口をつける。
「たぶんさ、過去の栄光が忘れられなかったんだろうな。自分の価値を認めさせたかったんじゃないか」
「まあ、虚勢張っちゃったんだろうな」
「年上ってだけで偉そうにする、勘違いオヤジが多すぎるんだよ」
ケイタは振り返って厨房に声を張った。
「ちょっとお兄さーん、俺のビールまだなんだけどー!」
智やんが指をさして笑う。
「ほら、勘違いオヤジがここにもいるぞ」
「えっ、俺?……気をつけよう」
三人の間に笑いが起きる。
浩一は冷ややっこをつつきながら目を落とす。
「でもさ、その人、やりすぎだけど、気持ちは分からなくもないんだよな。
自分の価値を認めさせたかったのかなって」
「まあ、孤立してたら余計にそうだろうな」智やんは枝豆をつまむ手が止まらない。
「でもさ、会社とか組織って、演劇の舞台と同じだと思うんだよな」
ケイタはおもむろに言い出した。
「演劇?」智やんの枝豆をつまむ手が止まる。
「監督がいて、台本があって、配役はもう決まってる。
『この役が気に食わない』なんて言っても通らないだろ」
「確かに」浩一はうなづく。
「配役が嫌なら、主役目指してオーディション受けるしかないんだよ。
小さな世界で配役に文句言うより、世の中に打って出たほうがいい」
ケイタはビールに口をつけた。
「会社は演劇の舞台、か。
組織の中の自分とプライベートな自分を別と考えると、ちょっと気が楽になるな」
「舞台の上ではさ、役者個人の性格とか人間性なんて関係ないんだよな。
与えられた役を、監督の指示どおりきっちり演じて役目を果たす。
困ったおやじも配役に徹していたら良かったんだけどな」
浩一は智やんのように他人事とは思えず、同情していた。
「でも、与えられた役に満足できないって気持ちもあるよな」
「ショーン・コネリーだってさ、年取ったらジェームズ・ボンドはしてなかったろ。その代わり、イイ感じに年を重ねて渋い役で活躍してたし」
智やんは相変わらずサバサバ口調で言う。
「俺も智やんに同感だね。『まだやれる』って気持ち自体は悪くないと思うけどな。
ただ、やる場所を間違えてるんだよ」
ケイタが続ける。
「もう劇団の中じゃ役は決まってるんだからな」
「劇団の中じゃなくてさ、外に出てくんだよ。
うちのばあちゃん、水彩画好きでコンクールに出してるぞ」
「スポーツの市民大会でも、クラフト販売でもチャレンジする場はある」
「なるほどな。フリーランスのケイタらしい考えだな」静かに言う浩一。
「会社ってのはあくまで舞台。
配役と自分のアイデンティティは、ごっちゃにしちゃいけないことだな」
智やんは焼き鳥を頬張りながら言う。
「そういや、小学校の学芸会で西遊記やったんだけどさ。
俺、沙悟浄だったんだよ」
「いいじゃん。智やん、カッパ似合ってるし」
「カッパじゃねーよ!」
ケイタと智やんと掛け合いに、浩一も割って入る。
「まだセリフあるだけマシだろ。
俺なんか三蔵法師が乗る“馬”だぞ。セリフ『ヒヒーン』だけ」
ケイタは楽しそうに茶化す。
「ははっ、せめて人間の役がいいよな」
「若者のコスプレも似たようなもんかもな。
みんな、憧れのキャラになりたいんだよ」
「俺だったら北斗の拳のケンシロウだな。
ツボを突いて『お前はもう死んでいる』ってやつ」
ヘンテコなポーズをとる浩一。
「ツボじゃなくて秘孔な」智やんがすかさず突っ込む。
「俺はガンダムのアムロかな。
俺って、なんかニュータイプっぽくない?」
顎に手を添えるケイタ。
「どこがだよ」あきれる智やん。
ケイタはビールジョッキを握りしめて言った。
「アムロ、行きまーす」
「あはは、一気飲みなんて頼んでないって」智やんが笑い出す。
「やるな、アムロ。ケンシロウ行きまーす」
負けじと浩一も一気飲みを始めた。
「あはは、お前ら中学生かよ」
ケイタはビールの泡のついた口を拭いながら言った。
「それで、智やんは何になりたいんだ?」
「俺は、……三蔵法師かな」
浩一とケイタは顔を見合わせる。
「学芸会、引きずってるねー」
ケイタが智やんに何やら目で訴える。
「わかったよ。」
智やんはビールジョッキを握りしめて高らかに言った。
「三蔵法師、行きまーす!」
無邪気に盛り上がる3人に、周りの客が振り向いた。


